演奏家・楽器商の声

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安永 徹

演奏家

安永 徹

ストラディヴァリウス1702年製ヴァイオリン
「ロード・ニューランズ」


ストラディヴァリウスという名前は、弦楽器奏者だけにとどまらず一般的にも知名度が高く、この言葉を耳にしただけで豊かな気分になってしまう方も多いと思います。私が「良い楽器を弾きたい」と思い始めたのは高校の頃からだったように記憶していますが、同時に、手が届かない高嶺の花と自分で勝手に決め込んでしまっていて、内心とても複雑な気分だったことを忘れられません。私が1984年からずっと弾いている楽器はDomenico Montagnana (ドメニコ・モンタニアーナ)、1683年から1756年までヴェネチアで創作活動をしていた人の制作による、1730年頃の作と言われているものですが、現在は修復作業のためベルリンの楽器職人のアトリエに2年半“入院”していて、今年9月に作業が終了する予定になっています。

17~18世紀に制作されたイタリアの名器のその後の保存状況に関してはあまり明確なことはわかっていません。温度、湿度、虫喰いなどの自然災害から所有者の楽器の扱い方までさまざまな原因があるようですが、18~20世紀の修復の技術が制作の技術ほど高くなかった、という事実も現代の鑑定家や所有者を悩ませている一つのようです。現在私が弾いている楽器は日本音楽財団からお借りしているもので、“Lord Newlands” と呼ばれる1702年の作です。作曲家の生涯と比較してみますとバッハが1685年~1750年、ストラディヴァリウスが1644年~1737年ですから、とても早い時期に楽器として完成された『形』があったことに驚かされてしまいます。

「ストラディヴァリウスが制作した名器は何をしなくてもバターが滑らかに溶けるように素晴らしい音が出る」
時々耳にする言葉ですが、私が “Lord Newlands” を実際に弾いた感覚から受けた印象は、ずいぶん違ったものです。遠くで聴く音と耳のそばで聴く音は音量だけでなく音色まで違うのだ、ということを実感しますが、何と言っても「楽音」ではない「雑音」のような音が多く含まれていることは想像もしなかったことです。川が流れるような音、風の音、時には電話のべルが鳴っているような音、人間の声・・・・・いろいろな「音」が聞こえるのです。「音」が聞こえるので弾くのをやめてもそこには何もないのです。楽器から出た音としか考えられない・・・信じられないようなことですが、実際に私自身体験していることです。

楽音以外の音は倍音に違いないのですが(もちろん、どんな楽器にも倍音はあります)、その種類が他の楽器に比べてとても多く、音量も大きいので最初の頃は戸惑ってしまいました。今でも一人で練習している時に勘違いをすることが多くあります。

この倍音(至近距離では雑音に聞こえる音)が、演奏会場で聴いている方々に音色として届くのだと思います。他にも、重音で奏した時のうなり(2つの音の振動数の差から派生する音で、実音ではありません)の音も大きく、これは “Lord Newlands” に限らず、おそらくストラディヴァリウスやその頃に制作された名器が備えている特色の一つと言えるのかも知れません。あとは、その特色を音楽の中に生かすことができるかどうか、演奏家に委ねられた大きな課題です。

(2005年8月4日開催 日本音楽財団演奏会プログラム掲載)

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