演奏家・楽器商の声

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アンドリュー・ヒル

楽器商

アンドリュー・ヒル

約20年以上前に初めて日本音楽財団の代表者の皆様とお会いし、事業目的の説明を伺った時のことを思い出しながら本稿を書いております。当時から今日までに、日本音楽財団では素晴らしい楽器のコレクションを入手されてきました。その中には、私にとって古くからなじみのある楽器もありますし、楽器の存在を耳にしたことはありましたが、イギリス以外の国にあったため、実際に目にしたことのない楽器もありました。それらは古美術品であるかもしれませんが、演奏家が行く先々に“演奏用道具”として移動するという点で特異です。

150年前、ストラディヴァリが楽器を製作してから既に200年が経過していた当時、ほとんどのストラディヴァリウスはフランスかイギリスにありました。両国は財力と音楽に対する関心を持ち合わせていたため、ヴァイオリンの製作、特に楽器の取引が非常に栄え、パリやロンドンではあらゆる知識と楽器が揃っていました。当時、米国の市場はほとんど発達しておらず、中国や日本は外国に対して市場を開放しておりませんでした。日本に西洋音楽が入ってきたのは明治時代と伺っております。輸送機関の発達と共に、楽器の移動もより広範囲になってきました。1945年以降、その傾向が更に強くなり、ヨーロッパからアメリカへの楽器の輸出が増大しました。イギリスも他のヨーロッパ諸国も、度重なる戦争により、楽器を保持し、流出に歯止めをかけるだけの財力が残されていませんでした。

1850年から1950年の間、良質のヴァイオリンや他の弦楽器の継承が、心あるコレクターや、責任感の強い楽器製作者、ディーラーによって育まれてきました。例えばHill商会においても、幹部の人たちが「あのバイヤーは楽器を台無しにするだけだから、あの貴重なヴァイオリンを見せてはいけない」などと話していたのを思い出します。300年も経ち、今まで無傷同然できた素晴らしい楽器が、無神経な所有者によって不当に扱われることを、幹部の人たちは既に予見していたのです。楽器商やメーカーの伝統に基づく訓練は、何をさておいても楽器を保護し、維持することでした。「修理をしなくてもよいのであればむやみに修理するな」という表現がこれほど相応しいことはありません。我々は一時的な管理者にすぎず、そして、管理者としてなすべき保全の義務がある、ということを常に言われていました。

遺憾なことに最近、表板や裏板の厚みを削られた楽器を見ることがあります。自分たちの方がストラディヴァリやグァルネリよりも楽器のことに精通していると考える愚かな製作者により楽器が破壊されたケースです。それとは別に、残念なことに事故は起きるものです。我々が怪我をしたり病気のとき、それぞれの病気のトップの専門家にかかろうと努力するのと同じように、弦楽器の修理にも必要なのは、やはり、その道の最高の修理ができる楽器商に持って行くことです。最高の楽器は、熟練した専門家に保全・修理をゆだねるべきです。国際弦楽器・弓製作者協会では、才能ある若い弦楽器の専門家の育成という課題について、多くの時間を割いて討議しています。

1945年以降、世界各国で音楽に対する関心が高まりました。それまで楽器の市場すらなかった国においても、国の豊かさが増すにつれ、弦楽器への需要も増えてきました。しかしながら残念なことに、楽器への需要が伸びるとともに、価格もそれにつれて上がりました。価格上昇は、特に前途有望な情熱のある若い音楽学生にとって難しい問題となっています。

非常に価値のある楽器の取り扱いのためには何をするべきか、よく聞かれますが、必要とされるのは「常識」です。例えば、楽器の使用後、飛び散った松脂をふき取らずに楽器をケースにそのまま入れるということは避けなければなりません。弦楽器を持つときはネックのところを持つこと、汗などの水分がニスの上に残らないようにすること等です。熟練した楽器専門家に定期的に見てもらい、例えば黒檀の指板の磨耗を修正するなど、将来的に手当てが必要なことをチェックして貰うべきでしょう。若手演奏家の中には、不精して、これら楽器にとって必要な取り扱いを怠る者がいるのは残念なことです。

私が初めて日本音楽財団の事業目的を伺った時に感銘を受けたのは、最高レベルの楽器を取得し、若手演奏家が更に音楽的才能を伸ばすため、彼らに楽器を無償で貸与するというだけでなく、同時に弦楽器名器を適切に保守・保全し、慈しむということを強調されていたことです。この保守・保全という要素こそ、以前から欠けていた要素ではないか、と私は気付いたのです。日本音楽財団のなされようとしていることは、多大なる時間と資金を要するものであります。その努力に対して我々も楽器も深く感謝するべきだと思います。

この約20年間で財団が取得した楽器の中でも特筆されるべき楽器は、かつて世界的名演奏家のハイフェッツが使用し、ストラディヴァリウスの中でも名器中の名器と言われる1714年製ヴァイオリン「ドルフィン」と、名チェリスト、フォイアマンが使用していた1730年製チェロ「フォイアマン」です。特に、チェロ「フォイアマン」は、取得時に側面の下部が少し変形しており、これを修正するために楽器を開けなければなりませんでしたが、中を見て驚きました。外面も良好な保存状態でしたが、内部は300年ほど前に製作者のストラディヴァリの手で完成された時と全くといってもいいほどそのままであったのです。オリジナルのネック部分にはストラディヴァリが使用したオリジナルの木くぎが残っていました。これはまさしく長年の間、この楽器を手厚く取り扱ってきた人たちの努力の賜物です。

1721年製「レディ・ブラント」は、ストラディヴァリが製作した当時とほぼ同じ状態の素晴らしいヴァイオリンで、英国オックスフォードにあるアシュモレアン博物館保有の1716年製「メサイア」と双壁をなすといっても過言ではありません。「メサイア」は、ヒル家が同博物館に寄贈したのですが、それは「メサイア」が現存するストラディヴァリウスの中で「ほとんど未使用」の状態の唯一の楽器であり、将来のヴァイオリン製作者たちがこの楽器を手本として学べるように保存するべきだと考えたからです。2008年、日本音楽財団が「レディ・ブラント」を購入したのも同じ目的からでした。しかし、2011年3月、誰も予測できなかった恐ろしい大震災が起き、復興支援のための資金が早急に必要とされる中、日本音楽財団は、2011年6月、「レディ・ブラント」をオークションにかけることを決断しました。落札額は弦楽器としてはオークション史上世界最高額を記録し、その全額が日本財団の「東日本大震災復興支援/ 地域伝統芸能復興基金」に寄付されました。「レディ・ブラント」に対し、私は個人的な結びつきを感じています。「レディ・ブラント」との初めての出会いは、ヒル家が経営するW. E. Hill & Sonsに私が入社した直後にアメリカへ売却される際のことでしたが、あれから50年の間に「レディ・ブラント」の売買を4回も手掛けることになるとは、その時は思ってもみませんでした。

「レディ・ブラント」売却のいきさつから、人はみないつか死ぬ運命にあり、過去から引き継がれてきた歴史を一時的に預かっているに過ぎないことを、我々は痛感させられました。過去3世紀の間そうであったように、「レディ・ブラント」の真価が分かる人たちの手にこの楽器が常に引き継がれていくことを願います。

【プロフィール】
ロンドンで代々400年近く続いてきた楽器商であるヒル家に生まれる。パリの老舗であるEtienne Vatelot の元で楽器製作を学んだ後、家業であるW. E. Hill & Sonsの経営を手伝うようになり、1991年よりW. E. Hillを経営。楽器以外の分野でも、これまでに英国古美術業協会の会長はさることながら、国際芸術作品交渉者連合(CINOA)の会長、また国際弦楽器・弓製作者協会の会長などを歴任している。ヒル氏は、日本音楽財団が楽器収集を開始した当初より、楽器のアドバイザーとして財団のコレクションに協力しているだけでなく、取得後の保有楽器のメンテナンスの良きアドバイザーとして協力している。

2012年4月寄稿

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